癌との因縁 「これまで多くの患者さんを看取ってきましたが、まさか自分の妻を看取るとは。しかも、癌で・・・」
母と妻。天願さんは最愛の女性ふたりを、癌で亡くしている。
母が逝ったのは12歳のとき。少年には辛すぎる出来事だった。
母の命が示した医師への道 「母が亡くなった時、『医者になってやる!』と決心しました。病気なんかやっつけてやる、って。その気持ちは、今でも私が医者として在り続ける原動力になっています」
悲しみの淵から立ち上がり、一途な意志で癌の専門外科医へと成長。悲しみは、強い心を持ったひとりの医師を育てた。
やがて厚子さんとの出逢いを経て、結婚。子宝にも恵まれた。
外科医になってから25年。転機の時が近づいていた。
病気にならない医療を -ピンピン・パタイ 「病気にならなければそれが一番いい、という考えから病気予防を目的とした統合医療を本格的にやってみることになった。『ピンピン・パタイ』と言って、生きている間は元気に過ごし、死を迎える時は病や老いに苦しまずに・・・それが一番良い生き方ではと。妻も介護をやりたいと言ってくれていたので、『じゃあ一緒にやろうか』ということになったのです」
2001年、11月23日。クリニックぎのわんを開院。2階は介護支援センターさんだん花。厚子さんの誕生日に開院日をプレゼントした。厚子さんは最高の笑顔で応えた。
年齢も50代を過ぎ、これから妻との新たな生き甲斐を-。歩き出した新しい夢への道。
だが、再び癌の脅威が目の前に立ち塞がる。厚子さんの体に、癌が発症していた。
妻が遺した強さ 「厚子は、辛いはずの闘病生活を強く、颯爽と生きました。あの時、現実は正直、辛かった。でも、それでも私が闘えたのは、厚子の凛とした生き方が私に力をくれたからです」
最終的に厚子さんは化学療法を受けないことを選択し、さんだん花の仕事と、家族に残された時間を使った。夫の「ピンピン・パタイ」を胸に。
そして、大切な「さんだん花」は長女の荘子さんに託した。
開院から2年。厚子さんは家族、そして共に歩んできた職員が見守る中、静かに息を引き取った。最愛の妻は、プライドを遺し、この世を去った。自尊心の在り方を天願さんの心に、その志を娘達と職員に。
2007年。あれからもう、3年経った。
想いは胸に 「クリニックぎのわん」の在宅診療は、お年寄りや外に出るのが困難な状況にある方に好評で、天願さんの忙しい日々は続く。
あえて白衣を着ずに診療に当たるその姿に、「親しみを感じる」と患者さんから好評。
車の中で仮眠をとることも少なくないが、働くのが大好きで活発な天願さんにとって在宅診療は天職かもしれない。
スタッフは皆、院長である天願さんの話になると笑顔になる。数々の試練は、仲間との絆を深く、そして強くした。
ユーモアいっぱいの楽しいお医者さんは3人の娘と、固い絆で結ばれた仲間達、自分を必要とする患者さん。そしてふたりの女性への想いを胸に、今日も診療に励む。
クリニックぎのわんは、厚子さんが大好きだった海の側に在る。